鑑定師&魔女 akalisa(あかりさ)の日記。ゆったり生きよう。

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オードリー・ヘプバーンの「ティファニーで朝食を」からみる「分相応」という意味。

 

 オードリー・ヘプバーン主演の「ティファニーで朝食を」を見ると、人っていうのは、その人が持っている、もしくは身につけた知性であったり考え方であったりの「レベル」みたいなもので、付き合う人が違ってくるというのが良くわかる映画です。

 

 

ティファニーで朝食を [DVD]

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たとえば。

一流大学出身の人間が付き合う人たちの中には、中学卒業ですぐに働いた人たちが混じって友達になることはあまりないです。

優雅な世界旅行をしている人たちが、貧困国でまずしい生活を強いられている人たちと付き合うことになることも、あまりないです。

ある宗教に心底のめり込んでいる布教活動している人が、違う宗教に心底のめり込んで布教活動している人と、親友になれるかというと、ちょっと難しい場合が多いです。

 

現実的にお金のあるなしも関係ありますが、それもありつつ精神構造というか、「考え方」もすごく大きい問題です。

 

 

ちなみに「ティファニーで朝食を」の映画を知らない人の為に、とても簡単に説明すると、オードリーが演じる女性は、見た目はとても綺麗でオシャレ。だけど安アパートに住んでいて何も持っていないまともに働いていない(映画の中では女優のたまごの設定)。いつも夜のパーティに出かけて男性からおこずかいをもらい、気ままに猫と一緒に生活している。そしていつか大金持ちと結婚をと企んでいる。

 

相手役の男性は、小説家なんだけれど名ばかりで受賞作から何年も書いておらず、お金持ちのマダムに(既婚者でお金持ち年上女性)お世話になっている。恋人になるかわりに生活費や服などをすべて援助してもらっている。

オードリーの住んでいるアパートに男性が越してくるところから物語はスタートします。最終的にオードリーは婚約までしたブラジルの大金持ちに結婚を白紙に戻されます。そして相手役の男性は、マダムと別れてオードリーとハッピーエンド。

 

個人的にオードリー・ヘプバーンが大好きで、DVDも持っていて数えきれない程にこの映画を見ています。そして、いまになって思うんです。

 

お似合いのカップルだよなって。

 

ビジュアル的にとか最初の出だしで映画のストーリーとしてとかではなくて、そもそもこの主人公の二人は、お互いに色気や若さを使って異性から援助してもらっている。それで生活している。

住んでいる場所も一緒の地域というか、レベルの古いアパート。考え方も似ているのではないと思うのです。

つまりは、同じレベルの人が出会って恋をする。それってごく自然なんだなと。

だってオードリーは、映画の中で教養も知性もない。そんな人をいくら美しく若い見た目の魅力を十分に持っていても、お金持ちが結婚の相手としては見ません。

そういう人たちは、見た目の若さもそして知性も教養も必要とします。そして家柄も。もしオードリーを手に入れたいと思うなら、愛人でどうだ?と話しをつけるはず。そういうレベルの女性なのです。

 

それが良いとか悪いとかではなく、「分相応」とはそういうもの。

 

だからこそ。

最後にハッピーエンドとなって一緒になった男性とは、すごくお似合いのカップルなのです。まさに「分相応」なんだなと、見せつけられた作品でした。

 

 

そして。

私たちも、たとえば「こんな人と友達になりたい」「こういう人とお付き合いしたい」と願うならば、自分もそのレベルにならなければいけません。

単純にお金持ちと友人になるには、お金持ちになる為に努力するのが必要。憧れの人と近づくには、教養や知性もさることながら、考え方を変えることです。それが一番の近道。

自分の憧れの人ならば、こんな時にどう行動するだろう? 今の自分にせめてできることはないのだろうか? そんな風に魅力的だと感じる人の行動や考えを真似することで、その人たちに近づくことが可能なのです。

 

話は少しそれますが。

個人的にオードリー・ヘプバーンが好きになったキッカケの映画です。

あまりに好きすぎて原作も読んでしまいました。

 

 

ティファニーで朝食を (新潮文庫)

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こぼれ話ですが、原作者的には、この映画の主人公は「オードリー・ヘプバーン」ではなく「マリリンモンロー」をイメージして書いた作品です。

 

akalisa

本日のラッキーなこと。

 

 グレープジュースをたくさん買いました。そしたら間違えて2パック開けっ放しになってしまいましたが、美味しいのでなんでもいいやと、思えたことです。